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楠の会だよりNo.279号(2025年9月)記事より

白い雲  (八木 重吉)

秋の いちじるしさは
空の 碧(みどり)を つんざいて 横にながれた白い雲だ
なにを かたつてゐるのか
それはわからないが、
りんりんと かなしい しづかな雲だ



なぜひきこもりが戦後の日本に起こったのか?
~再び「ひきこもりの家族関係」(田中千穂子著)より考えてみよう~

戦後80年という今年の8月15日終戦記念日にあたって、80年前に起こした大きな戦争についてこれまでにないおびただしい情報、それも今まであまり目にしたことがない情報が公開されて、改めて大戦前後の実情を知りました。それにしても長い間国民を欺いてきたものだと、知らないできたものの悲哀を噛みしめるしかありませんでした。一番の衝撃は総理大臣直属で設置した極秘機関「総力戦研究所」が提示した「シミュレーション」(NHKTV8月16・17日放映)の、大敗を喫すると言う報告を押しきって戦争に突入したと言う事実。あとに引けないというメンツへの拘りは、今でもどこかで見聞きする不祥事になっています。人間の罪業を哀しむしかないのでしょうか。あの悲惨極まりない戦場に大勢の若い青年たちを送り込み、あろうことか人生を歩み始めたばかりの少年たちを爆弾として利用し、安全地帯を一歩も出ずに命令だけ発していた老政治家・軍人たちのなんという厚顔無恥!
ところで、なぜ会報に「戦後80年」を扱うのかと疑問を持たれたことでしょう。実は関係があるのではないかということをこれからお話しするつもりです。
若者たちが社会から身を引き、社会参加を拒むひきこもりという現象についての解説は斎藤環先生はじめ、たくさんの専門家から家族機能不全、母子共依存等という言葉で学んできましたが、一つどうしても明快な答えが得られない疑問がありました。会報で数回扱ったことがありますが、なぜ日本にこんな大きな数でひきこもりが起こったかということです。
実はこれが敗戦と関係があるということを、田中千穂子先生は「ひきこもりの家族関係」(講談社2001年刊)の中で取り上げられていました(以前にもご紹介したことがあります)。なぜ起こったかという疑問に、「敗戦によって生じた母性の質の変容と捉えています」の言葉があります。その説明に加えて先生のひきこもりについての見解をご紹介しますが、先生はあくまでこれはご自分の実践から得た仮説だとおっしゃっています。ぜひ皆様にも一度考えていただきたいとここに取り上げました。(‥‥は途中省略)

〇戦後捨ててしまったもの「察する心の消失」
”戦後半世紀以上が経過した今、改めて振り返ってみると、私たちの社会は、敗戦という現実を境に、それまで自分たちを支えてきた価値観を、強引に百八十度転換させられました。それまで正しいと信じてきたことは、間違いだったと突然宣言され、何を信じてよいのか、訳の分からない方向喪失状態の中に放り出されました。それはいわば、私たち日本人がみな、心の中心軸を失ったと言ってよいほどの、大きな精神的な衝撃だったと言えるのではないでしょうか。問題なのは、それが次世代を担う子どもたちに深刻な影響を与えている、ということです。
戦後の混乱期を生きた人たちを、仮に第一世代と呼びましょう。彼らは戦後の復興の担い手です。混乱した世の中で家族が生き延びるためには、それまで持っていた価値観をいかに早く切り替えていけるかが勝負だったと言っても過言ではないでしょう。流れに乗り遅れたら、貧しさと飢えが待っており、それは人生の敗北を意味していました。‥‥この時代は、人々が効率よく生産性をあげて豊かになる、ということと、国の経済の復興ということが密接な関係を持っていました。‥‥そして私たちの親世代の頑張りによって私たちは経済的な豊かさを手に入れることができました。
しかしこの過程で、明らかに成果が目に見えるもののみが評価の対象になり、価値あるものとみなされるようになって行きました。この一目で成績が見えるものへの偏った価値観は、この時代以降、深く私たちの中に浸透し、定着していったと考えられます。それによって古くから私たちになじみの深かった、目に見えない「察する心」が徐々に失われていったのではないでしょうか。‥‥
私たちはおそらく、見えないところで古来から脈々と血の中に受け継いでいる、日本的な心性や智慧に支えられて生きています。しかしそれらに頼ることは、すでにその時代の母親たちには許されません。なぜって、敗戦によってこれまでの日本の考え方は、まとめて全部「間違ったもの、よくないもの」になってしまったからです。何を信じたら良いのか戸惑い、模索しながら、しかし生き抜くために古いものはとにかく捨てて、新しい欧米の価値観をどんどん取り入れ、過剰適応しながら、母親たちは子どもを育てていったのではないでしょうか。”
(記 吉村)

以下、次のような項目で報告は続きますが、このホームページでは項目のみの掲載に省略させていただきます。内容をお知りになりたい時は楠の会だより279号をご参照ください。

〇第一世代から第二世代の親へ
〇親や大人のできること
〇「一人の世界」の重要性
〇癒えるとは自分の非力さに気づくこと

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<投稿 元当事者から親たちに望むこと T・K(会報233号掲載)>

以前のことになりますが、母を通じ楠の会にお世話になっていました。現在はフルタイムで働いている、男性のひきこもり経験者です。会報に書いてみませんかとのお誘いを頂きましたので、ひきこもっていた頃の自分の内面を振り返ってみようかなと思います。
ひきこもりの背景や経緯や程度は人により様々のため、私の例に当たらないケースも少なくないと思います。親御さんへの怒りを強く持っておられる方は、多少当てはまるところがあるかもしれません。
私は幼い頃から、気質的なものからくる違和感が集団の中でありました。またその違和感を緩和するのではなく、強化するような歪で強めの家庭教育がありました。
小学校から周囲に馴染めず孤立しました。長年誰からも支援が得られず孤独を深め、青年期までかなり苦しい内面を抱えて過ごしました。
親は学校に私を押し戻すしか策がなく、ドロップアウトもできません。この時期にしか経験できない同年代との数々の交流の機会が得られないまま、形ばかりに大学を出ることになりました。就職はしませんでした。このような経過をたどって育った人間が親をどのように見ることになるかというと、敵以外の何者でもないということになります。子供にとり親は創造主ですから、親は精神的苦痛を与えるために自分をこの世界に置いたと感じていました。悪意でそうしていると考えることで、自らの境遇を自身に説明していました。
子は当初、親との関係を窓とし、親以外の他者と関係します。親との関係という基本的なソフトウェアが汚染されると、子は自分由来の確かな精神的基盤を獲得しないうちは、他者とのどんな些細な場面においても親とのぎくしゃくした関係を持ち出すことになり、失敗体験が蓄積されていきます。
親由来の関係性では他者との場面で躓きが生じ、自分独自の関係の仕方を上手く築いていくことができません。結果的に親由来の関係性に回帰し、ひきこもるという状態を続けていたと思います。無力な私は親を強大な存在と見なしていたのですが、もちろんそんなことはありませんでした。親も子供の難しい性質の前に無力で無策であるゆえに、子供の抱える問題に対し硬直的な対応を繰り返していたと考えられます。ひきこもっている生活を変えていこうとする中で、親のサイズが適正に見えるようになるということがあったと記憶しています。
私の人生の損失を補填できるような責任能力が親にはないとわかるのは、大変な無念さがありました。自分の生きてきた前提が覆るのを受け入れることになるため、心理的に長年依拠してきたものを失う頼りなさも伴います。手すりのない高所を歩くようで、怖くて仕方ありませんでしたが、外での活動や経験を通じ、親由来ではないものを徐々に心の中に築くことができました。試行錯誤のため、長い時間がかかりました。
親のサイズに関し、親御さんが楠の会のような家族会に参加されることは、何とかしたいと思っているけれども、有効な策を持ち合わせていないことの表明になるかと考えます。
このことが、ご本人が親御さんを見るときの視力矯正にも、いずれつながっていくのではないかと思います。このときの動き方としてあまり得策でないかもしれないと思いますのは、親御さんが十分に活動するよりも先に、ご本人に何かやらせようとすることです。親御さん自身が避けることを、おそらく本人はやりません。母の活動を思い出すとき、まず親御さんがご自身で様々な方面に取り組まれ、外の空気をそれとなくたくさん持ち込むことが必須でないかと感じます。そのことが、家庭内の風通しの悪さを徐々に変えていくことにもつながっていくのでないかと考えています。
※前半の記事と読み合せていただけるといいかと思い、ご本人の承諾のうえ掲載させていただきました。

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今月は他にも素晴らしい投稿記事があります。ぜひ「楠の会だより」をご覧ください。
なお、当ホームページに「楠の会だより投稿」のサブページを設置しました。
こちらの方もご利用ください。
投稿の一部を掲載しています。→楠の会だより投稿    

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福岡「楠の会」支部会だより

数ある支部会だよりからいくつかの支部をWEB編集者独断で選んでいます。他の支部会の状況をご覧になりたい方は、「楠の会だより」をご利用ください。

★福岡の集い  8月 17日 (日) 14 : 00~16 : 00 (あすみん) 参加者10 名 ( 男性 4、 女性 6 )

〇 終戦記念日直後という事もあって、戦争体験者の北九州空襲の話から始まりました。ひきこもりは、戦後復興を国民一丸となって推し進め、マイホームを持ち、核家族化が進み、親が叶わなかった大学に子どもたちをやれる頃から、高校、大学中退という形で起こったことを思い出していただきました。
当日は定員10人の会議室でしたが、N市社会福祉協議会の方も親の会の在り方を学びたいと見学に参加され、部屋がいっぱいになりました。お父様も4人、また久しぶりの会員Tさん(B型作業所運営)も参加され、熱のこもった語りあいになりました。

〇「なぜ外に出ないのか、いまのままでいいと思っているのか、先行きどうなるのか」という親たちの切実な思いを、如何に子に伝えられるかに話題が移った時、Tさんがご自分の体験を語り始めました。
最初久留米の会に泣きながら参加したこと、皆の話を聞きながらこのようになったからには何とか息子が食べて行けるようにしなくてはならないと決心し、看護師の資格を活かしながらこのような人たちを支援する事業を始めることを決心。荒れる息子の本心を聞くように心がけながら、一方で事業立ち上げの協力団体を求めて奔走し、近年やっと事業所の運営が安定してきたと言うことから、ご自分の息子さんについてお話されました。

〇 「息子の望みは海外に出てみることだったので、東南アジアで経験を積んだ。おかげで日本社会の窮屈さを知り、東京で自分なりの生き方を模索し、自立できた。やっと親としての自分の役目が終わった」というお話でした。親自身がまず殻を脱いで子どもに接する、子どもの本心にじっくり付き合ってきたということ、その行動力に脱帽でした。

〇 ここから学ぶのは、親が世間体などを脱ぎ捨てて、子どもの心をきちんと受け止めひるまずに一途に動いたこと、遠慮せず多くの人たちの世話になったことではないでしょうか。何もしなければ何も変わらない。とかく私たちは人に迷惑をかけないことを重要視していますが、そうではない、世話をかけ、こちらもお世話をしながら、多くの人の縁をつないでいくこと、そんな親の姿が、子どもに人を信頼することこそ生きていく原動力であることを示すことになるのではと、改めて思いました。   ( Y・F )

★宗像の集い 8 月 20日 (水) 13 : 30~16 : 00 (メイトム宗像) 参加者 6名  ( 女性 5 、 男性 1 )

1.令和7年 7/23 NHKあさイチ「どうする? 子どものいじめ ▽ 夏休み中に親が知っておきたい対応策」50分

いじめに早く気付くことが子どもを救うことに繋がります。学校に行きたがらない、学用品をよく紛失するなどのチェックポイントがあります。チェックシートを利用して早期発見に努めましょう。(「NHKいじめ発見チェックシート」で検索出来ます)
こどもは親に相談しても我慢すればと言われたり、逆に大騒ぎされて孤立してしまう等を心配し、相談出来ないでいることもあります。いじめられていることが分かったら相談する方法を考える必要があります。いじめ相談NPOの人は、いつ、だれが、どこで、何をした(4W)などを落ち着いて整理しておくと良いといいます。
相談先としては担任の先生だけでなく校長、副校長、教頭、生徒指導主事など、時に応じて相談の相手を選ぶと良いといっていました。
また、いじめた子たちを叱らないでといっておくことも大切です。

2. みんなの声
a :うちの子どももいじめにあっていました。コミュニケーションを取ることが苦手で、その事をネタにいじめられたようです。その事を子どもが打ち明けてくれたので、子供と真剣に話し合いました。そして、私が何をしてあげれば良いのかと聞いたところ、なにもしなくて良い、その事実を知っていてくれるだけで良いと言っていました。
b : 私は子どもに生きることの楽しさを伝えてきたのかと反省しています。育てることの義務感で育てて来ただけではないかと思います。また、私は気難しい母に殆ど自由を与えられず、縛られるように育てられました。結婚して自由が得られてとても嬉しく思い、子どもは自由な環境で育てました。実はそれがよくなかったのかもとも思っています。
c :ビデオでは、いじめられる側だけでなくいじめる側にも目を向けなければいけないと言っていました。いじめる側の子達を叱らないでとの声もありました。いじめる人はいじめることで自分にとってプラスになるもの、楽しいとか優越感を感じるとか、そのようなものを求めてイジメているのではとも考えました。
恐らくこれは人が生来的に持っている性質ではないのか、これがギリシャ・ローマ時代からの侵略戦争にもつながっていたのではないか。
ここで教育が大事な役目を持つこととなるのではないでしょうか。もちろん、いじめられる側の悲しみや痛みを知ることを教えることも大事だと思います。あるいは、少し前に楠の会便りに「スピリチュアルの成長」の話がありましたが、人をいじめて楽しさを得るのではなく、人を助けることでより良い楽しさを得る方法もあることを教えることも大事ではないかと思いました。   (A男)





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