■楠の会だより投稿文の紹介■


おたよりⅡ
ご無沙汰しております。楠の会だよりと冊子ありがとうございます。私もこのところ、「親から始まるひきこもり回復」(桝田智彦著 ハート出版)の本を繰り返し読んでおります。これまで自分では、考えもしなかった子どもの思いに気づかされ、指針を得た思いです。本当にありがたい本です。息子の強迫症状が少し少なくなりました。いい時よくないときの繰り返しですが、自分がこれで少しずつでも変われたらと、思います。なかなか集まりにも行けずにおりますが、皆様もどうかご自愛ください。(M)


次世代が生きる新しい時代のために~昭和の経験が役に立たない時代の到来~
  福岡県立大学大学院 四戸智昭先生


今年2回目、四戸智昭先生に来ていただきました。
令和という新しい年号になると言うことで、20年続けてきた私たちの活動も、今までどのような道を進んできたのかを整理をして、先の見えにくい将来にどのような備えや考え方をしていけばいいか、そのような示唆をいただきたいと思いました。
先生は深いお話を面白おかしく話してくださいましたが、よく映画を紹介されます。今回も「もっと映画を見なさいよ」と言われました。そうですね、映画は読書より手軽に、自分では経験できない人生を味わうことができ、人の生き方の様々を見ることができます。
今回おすすめされたのは、スピルバーグ監督「レデ ィ・プレイヤー1」、「天気の子」でした。
今回のお話も実際にご自分の耳で聞いていただくに如かずですが、せめてアウトラインをご紹介します。


〇昭和・平成・令和の時代、変わることができないもの
今年の4月頃から連休前、新聞や雑誌で、令和を迎えようとしても、まだ解決していない問題は何かを特集していた。私も取材を受けたが、思ったことは子育ての価値観が昭和の時代から全くと言っていいほど変わっていないということ。子どもを塾に行かせるのは平成と同じか、それ以上かもしれない。
将来の不安要素が大きいから、せめて学力をつけておきたいと言う親心だろう。それにしても教育費は高い。
また、家を建てるのも有名公立高校の学区内を選ぶ傾向も未だに続いている。塾に通わせている家庭は中学生の半数以上だと言われる。多数派に合わせるほうが親としても楽で、親が安心したいだけかもしれない。

〇様々なアデイクション(嗜癖・しへき)
嗜癖にはアルコール、ギャンブル、たばこなどがある。ひきこもりもネットや過睡眠(布団にくるまって過ごす)というアデイクションとみている。アデイクションとはやめられない習慣のことであり、自己防衛の手段ともいえる。
日野原重明先生は、かつて成人病と呼ばれた病気を生活習慣病と呼び変えたお医者さんで、彼は「習慣が人を作る、心も体も」と言っている。
良い習慣も悪い習慣も、体だけでなく、心も作るのだから、親の子に接する接し方も習慣そのものであり、子の心を作るといえるだろう。

〇嗜癖とは、さらに不満や不幸を感じないようにするための行動や思考のこと
嗜癖はやめれば(やめさせれば)いいと言うものではない。嗜癖は人が生き残るために必要なことである。人にとって、当面直視できない問題から目をそらし、不安を緩和する行為だから、それを取り上げるのは、その人が生き延びる手段を奪い取ることになる。ネットに依存する人は、その必要があって依存しているわけだから、単にネットを取り上げるのは短絡的で、周囲はむしろその不安に思いをはせると良い。

〇問題の構図(斎藤学「ひきこもり依存症」より)
C(子ども):不登校引きこもり:昼夜逆転=過睡眠アディクション、インターネットアディクション

M(母):過剰なケア=子に対する依存(共依存)

F(父):父の家庭での不在=仕事へのアディクション
子どもだけが問題を抱えているわけではなく、それぞれが何らかの課題(アディクション)を抱えている。

〇モップをかける
四戸先生のアデイクションはモップかけ。大学の仕事に不安を感じた時に取る行為だそうです。(部屋のゴミに意識を集中させているときは、本当の不安に目を向けなくてすむ)

〇中間テストを受けて欲しい
ある不登校の子を抱える母親は自分が学生時代、定期テストを受けないなど、とんでもないことだった。
しかし、最近は定期テストより小テストのほうが学力が付くという中学があり、定期テストを廃止している学校が出てきている。時代は変わってきている。

〇就職してほしい
親の願いが息子を追いつめ、ひきこもりを起こしているケース。
お医者さんに統合失調症と言われ家族会に行ってみるが、息子の状態とは違うと思い、四戸先生に相談に来られる。
冷蔵庫のドアを開け閉めする癖があるというが、それは自分の不安(就職できない不安)を紛らわすためアデイクションではないかと指摘。息子は、家でお風呂を洗ったり、農作業の手伝いをしたり、それができているのであれば十分、就職というある種の一般形式でなければならないと言う固定観念を、まずは親が見直せるといい。

〇子どもの不安を増幅する4つのない
1.「心配ない」「就職できない」:親のメッセージは、親自身の不安を表しているに過ぎない。
2.居場所がない:ボール遊び禁止、町や家の中に子どもの居場所がない。(居場所とは、安心してありのままでいられる場所のこと)
3. 時間がない:学力の三要素(新学習指導要領)、英語学習やプログラミング学習
4. 将来が描けない:AI時代の到来、親のこれまでの経験が通用しない時代。

〇学力の三要素 ①知識・技能 ②思考力・判断力・表現力 ③主体性・多様性・共働性
学力三要素で求められているのは、「なぜ?」を考え続ける力のことであり、自分で考えること。

〇日本人口の49%の仕事がAIに代替可能
10~20年後には、日本の労働人口のおよそ49%が就いている職業が技術的にはAIやロボットで代替可能。しかし、創造性があって「コミュニケーション」が必要で「非定型」な仕事はAIでは代替できないと言われている。
★99.8%~99.7%の確率で自動化可能な職種:電車運転手・経理事務員・検針員・一般事務院・包装作業員・路線バス運転手・積み下ろし作業員・梱包員・レジ係基本作業員など
★自動化が可能になる確率(0.1~0.2%)が低い職業:精神科医・国際協力専門家・作業療法士・言語聴覚士・産業カウンセラー・内外科医・針きゅう師・メイクアップアーチスト・小児科医(出典:野村総合研究所)

〇承認欲求、マズローの5段階欲求説
承認欲求とは、他者からの承認欲求:他者から自分の存在や役割について価値づけしてほしいと言う欲求のこと。
アメリカの心理学者マズロー(1908~1970)は「人間を成長させる方法は責任を与え、期待していることを伝え、苦労させ、汗を流させることが挙げられる。
彼らを過保護に甘やかし、代わりにやってやることではない。自分自身で学ぶ必要がある。」と言っている。
また、山本五十六(1884~1943)は「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。」と言っている。洗濯でも掃除でも、まずは親(父も)やってみること。
そうすれば、洗濯や掃除の大変さがわかるし、はじめてそれをする息子や妻の行為を褒める事ができるだろう。
承認欲求が満たされれば、自己実現したいという欲求もやがて自然に生まれてくる。

〇親が同調圧力に負けない
子には一秒でも長く生き延びて欲しい(できれば笑顔で)


質疑応答 子どもたちの将来の展望について
Q)仕事をせよとはいっさい言わないが、子どもの将来をどう考えたらいいだろうか。
A)ベーシックインカムというものがある。
生活に必要な最小限のお金を国が国民に支給する、という施策。日本でも所得格差はますます大きくなってきている。
それは子ども虐待の数字を見るといい。
虐待防止法ができた2000年頃は3万件だったのが今や10万件になっている。
職場があっても所得が少ないとイライラが募り、子どもを叩き、弱い人たちを虐げる。
治安維持や子どもの将来のためにも、最低の生活の保障をして安心と安全を保障する、と言うのはマズローの段階説にある通りで大切なこと。
職業で生活費を稼ぎ、余暇を楽しむと言う時代はもう終わりつつある。
NHKの番組「サラメシ」がニューヨークで取材したとき、ある20代後半の女性が、小さな会社の社長であり、一方で飲食店の店員もやるという生活を、楽しみながらやっていた。
二つ三つの仕事を同時にやるのは当たり前の時代が来ている。
日本でも、ある信用金庫が副業を解禁したと言うニュースがあった。ひとつの仕事に滅私奉公する時代は終わりで、何も大手企業に就職することが仕事であり幸福ではないだろう。たとえば、街の中を歩くと雑草が伸び放題になっているが、市役所に頼むと刈るよりも舗装してしまうかもしれない。草が伸びていると、死角が増え犯罪も起こる。色々と考えてみると仕事はある。ただその仕事を仕事化する力、プロジェクトに組む力をほとんどの人(大人たち)が持たない。台風の折、ホームレスを避難所に入れなかったニュースがあったが、その公務員は自分で考えず上からの命令に従うだけというのが問題だ。

新井紀子さん(数学者)はこの傾向に警鐘を鳴らしている。中高校生の3分の2が教科書を理解することができてないと言う。自分の力で考えられる人間を作りなさいと言う。AIは自ら考える事ができない。まだまだ人がやれることがたくさんあるはずだ。
いろいろな仕事を作り出せる。希望を持とう。(文責 吉村)




ひきこもり兄弟姉妹の会「ひこうき雲」の閉会に際して
   瀧本伸一 (臨床心理士)

3年前福岡にも兄弟姉妹の会がありました。
楠の会の居場所「七つ実館」で月に1回定期的に開かれていました。
しかし居場所がなくなりましたので、箱崎の公民館で1年間やっておられましたが、滝本さんの転勤に伴い、閉鎖になりました。その時無理にお願いして会報用に想いを書いていただきましたが、 それを掲載する時機を失していました。
ここで改めて皆様にご披露する機会ができまして安堵しました。滝本さんの貴重な体験談をどうぞお読みください。


3月の集いを最後に、ひきこもりきょうだいの集いを終えることになりました。
これまで 2年半ほど活動をしてきた中で、また自分自身の経験から感じたことを書いてみたいと思います。
〇きょうだいの思い
自分の兄弟姉妹がひきこもっていると、きょうだいはどんな思いを抱くのでしょうか。
それを想像することは簡単ではありません。
なぜなら、多くの人が兄弟姉妹がひきこもっている状況を経験していませんし、これを書いている私自身も自分以外の方の経験はほとんど知らないからです。
とはいえ何かしら役に立つものもあるかもしれませんので、私なりに考えていることを書いてみたいと思います。
私の個人的経験に多くを依っていることをご容赦下さい。
私は実家から離れて暮らしていますので、妹がどんなふうに暮らしているのか、知らないことが多くあります。
普段はあまり考えることはないのですが、知らないでいるとふとした時に不安に思うことがあります。
きょうだいが兄弟姉妹に対して不安に思うことはどんなことでしょうか。
一番は、親が亡くなった後、どうなるのか、ということでしょう。
金銭的なこともありますし、互いの関係が今後どうなるのかということもあります。
その前に、今現在どう接したらいいのか、ということもあります。
実家に帰った時に話そうとはするものの、どこかぎこちなくなったり、そもそも顔を合わせられないこともあるでしょう。
一緒に暮らしていると、もっとそれが濃密に、頻繁になっていきます。
腹が立つこと、戸惑うこともあります。兄弟姉妹に向けにくい分、親に対して、何とかしてほしいとの訴えをしたくなってしまいます。
これらの気持ちの背景にあるのはどんな思いでしょうか。
ひょっとしたらあったかもしれ ない”普通”の生活が難しくなるのではないか(もともとそんなものはないのですが)、そして兄弟姉妹のみならず、自分自身の人生が予想がつかなくなるという不安ではないでしょう か。
誤解のないように書いておきたいのですが、これは「だからひきこもっているのは悪だ」と言いたいのではありませんし、責めたい訳でもありません。
〇家族以外の人の力を借りる
指摘したいのは、ここで 挙げてみた考えや気持ちというのは、家族の中で何とかしないといけないという観念に基づいた発想ですし、家族が誰もひきこもっていない状態しか知らない人たちの発想ではないかということです。
多くの人が兄弟姉妹がひきこもっている状態を経験していないと最初に書きました。
親もそうだと思います。
だとすれば、考えるべきは、家族の中だけで解決をしようとせず、既にひきこもっている兄弟姉妹がいることを前提とした家族の在り方を、家族以外の人たちの力も借りて創っていくことではないでしょうか。
楠の会のような家族会に親が参加してくれて いることは、きょうだいにとってとても心強いことです。
金銭的なことについては、利用できる制度について、家族会での集まりや相談機関を訪れることで情報を得ることができます。
どんな生き方があるかについても、様々な場を創っている支援者の方々がいます。
そうした話も含めて、きょうだいは自分の兄弟姉妹について親と話をしたいと思っていると、私は思います。
〇きょうだいの立ち位置
兄弟姉妹にできることはないかと考えている方へ
きょうだいという立ち位置は、親とも違い、他人でもない、微妙な距離のある立ち位置です。
そんな自分がひきこもっている兄弟姉妹に対して何かをしたい、でもどこまで、何すれば良いかわからないと思ったとしたら、まずは家族として当たり前のことから始めてみるのはいかがでしょうか。電話で話をしたり、ご飯を食べたり、誕生日を祝ったり。ささやかなことでも、つながっていることで家族は励まされます。
それも難しいという方もおられるでしょうし、それをする気になれないという方もおられるかもしれません。
そうであれば何かをする前に、兄弟姉妹のことについて、誰かに話をしてみるのはどうでしょう。身近に信頼できる人がいれば一番いいですし、身近だと話しにくいということであれば、相談機関を訪れてみるのも一つです。
私は抵抗なく話せるようになるまでは、何年もかかりました。ゆっくりでいいのだと思います。
「ひきこもり」の他にも、障害のある方のきょうだいの集まりが全国にあります。
兄弟姉妹のひきこもりは、長くつきあっていくことになることが少なくありません。
きょうだいも親と同様抱え込まず、誰かの力を必要としていいですし、もっと声を挙げて良いと思います。
自分自身の幸せのために、です。力を合わせていける仲間と出会えることを願っています。
〇開き直る
最後に、 私はかつて兄弟姉妹がひきこもっていることを堂々と周囲に話せず、そんな自分自身が嫌でした。
それを変えたい気持ちもあって集いを始めたのですが、やがて、別にひきこもっていたっていいじゃないか、家族もいろいろあるけど、ウチなりにやっていったらいいじゃないかと開き直れるようになってきました。
妹はまだひきこもっていますし、苦しい思いをしていますが、家族はこの2年半で変わってきたと実感しています。
こうした経験ができたのも、これまで出会ってきたきょうだいの皆さま、「ひこうき雲」を応援して下さった楠の会を始めとした皆さまとのご縁があったからこそです。
この場を借りて「ひこうき雲」の閉会に際して 感謝申し上げます。
   (平成29年3月記)