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NHK文化講演会・セレクション
「人の心は読めるのか?~自己認識と他者認識の可能性~」を聞いて

(2月号、4月号、5月号と3回に分割して掲載しました投稿記事を合体しました。)

以前、家族が何を考えているのかを知ろうと思い、心理学の教科書を手にしたことがある。
その冒頭に「心理学を学んでも人の心は読めない、それはバーのマスターに聞け」とあり、私は、学んでも無駄なのかといきなり頭にガーンと衝撃を受けた。
今回の文化講演会「人の心を読めるのか」という演題を見て心理学が進歩して心が読めるようになったのかという興味を抱きながら聞いてみた。
この講演会を聞いて私なりに、人の心を読む方法を纏めてみた。興味のある方はご覧ください。

〇社会心理学とは
講師は社会心理学の研究者である森津太子先生(放送大学教授)である。
私たち人が二人以上いる場面では自分の考えや感情や行動が、他の人の影響を受け、変化がおきてしまう、このような影響などを調べるのが社会心理学である。
社会心理学の知識を手掛かりに人の心を読めるのかを考えてみる。
他者をどのように捉えるか、これを対人認知というが、物の場合は素材、大きさ、形状などを知ろうとするが、人の場合はその人の内面的なものまで知ろうとする。
見えないものまでも知ろうとするのである。
更に、自分がその人を、好きか、嫌いかなど自分の事情で、その人の捉え方は変わって来る筈である。

〇私たちが人のこころが知りたい訳
私たちは他人を知ることに対して、ことのほか熱心である。
昔は井戸端会議で、今はSNSで他人の情報を得ようとしている。
人が他者認知に熱心なのはなぜであろうか。
他の人が将来どういう行動をとろうとしているのかを知ることが、円滑な社会生活をするうえで欠かせないことだと言われている。
社会脳仮説という言葉がある。
我々霊長類の大脳新皮質の大きさ(体重に占める割合)が他の動物に比べて相対的に大きい。
その大きさは群れの大きさに比例すると言われる。
集団で生活することにより色々なことが出来るようになった反面、一方で人と人の関係性も複雑になり、関係を理解し維持するために、脳が大きくなったのである。脳は体重の2%程度の大きさだが、エネルギー量は20%も消費している。
即ち、集団の関係性を保つのに膨大なエネルギーを消費しているのである。

〇人を知る簡便な方法 ステレオタイプ
他人を知ることに関して、人は長い歴史を持っている訳だが、全ての情報を取り入れて考えると余りにも膨大すぎて脳が飽和してしまう。
そのために人は簡便な方法を使うことを知った。
一つはステレオタイプという知識である。
ある種の集団に対して私たちが持っている一種のイメージとか固定観念である。
女性は優しいとか、依存的、共感的というイメージを持つが、これである。
平均的に見れば、男性より女性の方が優しいとか依存的であるかもしれない。
しかし、中にはそうでない人もいるだろう。
大まかに考えるときは役立つ道具だが、個別に考えるときは役に立たないこともあるだろう。

〇人の行動はその人の性格のせい?
次に、基本的な原因帰属の錯誤である。
難しい言葉だが、原因帰属とは行動の原因が何であるか、どこにあるかのことである。
私たちが行動するときの原因として、内的なもの即ちその人の心と、外的なもの即ちその人の外側にある環境、の2種類がある。
今までの社会心理学の知見では内的なものよりも外的なものに依存することが分かっている。
しかし私たちは一般的に状況や環境などの外的な要因よりも、性格や能力などの内的要因を過大に考える傾向がある。
これは人間一般にかなり普遍的にみられるエラーである。
それだから、基本的な原因帰属の錯誤と呼ばれるのである。
一つ例を挙げると、Aさんが怒ったとき、最初に、内的なもの、Aさんは怒りっぽいと考えてしまう。
そのうえで、いやいやこの状況だったら誰でも怒るよな、と後から考えなおす。
こういう段階を踏んでいるらしいということが分かってきた。
しかし、余裕の無い時や重要でない時は最初の段階で終わってしまう。
これは人の見方に歪の出る原因となる。

〇私たちは自分のことをどれだけ知っているか?
先ほど、自分の事情次第で他人の捉え方が違ってくると言ったが、この点について考える。
私たちは自分自身のことをどれほど知っているだろうか。
古い研究だが、こんな研究がなされている。
大型ディスカウント店で4組のパンティストッキングを並べて、「今消費者調査を行っているが4つ見比べて一番良いものを選んでもらえませんか」と声を掛ける。
選んだらなぜそれを選んだかを聞いてみた。
パンティストッキングは全部同じものだったけれど、選択者はもっともらしい理由を語る。
これの伸縮性が一番良い、一番肌触りが良い、などという。
置かれた場所は関係あるかと聞くとそれはみな大きく否定する。
実際には同じものだった訳だから、その人が考えた理由以外の理由で選んだはずだけど、それには気付かない。
自分でそんな風に簡単に説明してしまうし、それが後付けの説明だという事にも気が付いていない。
こんなことが我々の普段の選択の場で起きているのではないかということである。
このように自分のことすらわからない私たちが、他者を知ろうとする時に、いろんな形で自分自身の要因が、他者を見るときに影響を及ぼしている。
次に、このことについて考える。(次号に続く)

〇自分を良く見せようとする傾向がある? 自分が世界の中心?
難しい言葉だが、自己高揚動機という言葉がある。
人は皆、自分は良い人だと思いたがる。
自尊感情を維持高揚したい、自分を好きでありたい、自分を尊敬したいという気持ちである。
自分に都合よく他者を見るという傾向である。
しかしこれだけで全てが説明できないことがある。
それは、私たちは自己中心的に物を見ているということである。
我が儘だとか自分勝手ということではなく、単純に自分を中心として周りの世界を見ているということである。
私たちは、世の中を自分の目で見て自分の頭で感じ取っている。
ある人は美しい花を中心に見ているし、又ある人は道行く人のファッションを中心に見ているかもしれない。
人と私で意識の中心は違うはずだ。
だけど意外と私たちは気が付いていないということだ。

〇人の視点に立って考えられるか?テストをしてみよう
それにはある程度は分かっているはずだ。
例えば人の視点に立って考えましょうとよく言っている。
だけど、自己中心的な視点から完全に逃れられていない。
単純な課題だったらいいが、こころの推測を含むような複雑な事は自分を中心に考えてしまう。
やってみると面白いと思うテストがある。
夫婦が日々の作業・出来事にどれだけ貢献しているかを答えてみるテストだ。
朝食の準備、皿洗い、掃除、買い物、夫婦げんかの開始などが考えられる。
私は75%貢献、夫は25%貢献などと書いてゆく。
同じことを夫にも書いてもらう。
それを突き合せるとどうか。
ご想像の通り、私は75%と書いた項目には相手は25%と書くべきだが、当然そうならない。
相手はもっと自分が貢献していると書いてくるだろう。二人の貢献度を足すと100%を超えてしまう。
お互いに自分の貢献を高く見積もってしまう。
朝食の準備、皿洗いなどを、自分に都合よく考えているね、と思う訳だ。  
ここで面白いのは、悪いこと例えば夫婦喧嘩を始めるのはどちらかとか、部屋を散らかすのはどっちかとか、こういう悪いことに関しても、両者の貢献度は100%を超えてしまう。
悪いことにも自分の貢献度が高いと考えてしまう。
それを考えると、自己高揚動機即ち自分をよく見せたいというだけでは説明がつかないということになる。
なぜこうなるのか、自己中心的な視点というのが関係しているのではないか、自分がやっていることは自分が見ているので、自分の行動に関する記憶は持ちやすい。
相手のことは、自分の視点からは見えていないのでそれに関しては認識が出来ない。
そのために望ましくないことについても自分の貢献度を高く見ることが起きてしまう。
結局、こういうことから見ると私たちは基本的に自分を中心にして他者のことを考えている。
しかしそのことに気が付いていないということが、人を認識することについての最大の問題点であると考えられる。

〇自分の見方は冷静そのもの? 人は見方が偏っている?
自分が見ている世界の認識が正確だという幻想のことを「ナイーブ・リアリズム」と言っている。
本当は自分の色眼鏡を通して見ているのに、自分の見ている世界は正確だと思ってしまうということだ。
関連して「ナイーブシニシズム」、非常に皮肉的な見方、というのがある。
私たちは自分に対しては非常に冷静に客観的に物事をありのまま見ていると思い、人の見方については見方が偏っている、自分に都合が良いように見ている、という風に思いがちだということである。
先ほどの実験で自己申告したものを足した場合、好ましい行動も、好ましくない行動も100%を超える。
自分の方がよくやっていると思うわけだ。
では、相手の答えを予測してもらうと、好ましい行動へは貢献度が高いというに違いないと予測し100%を大幅に超える訳である。
好ましくない行動に関しては、100%を下回る。
夫婦喧嘩を始めるのは相手だけど、多分相手はそうは思わないと非常にシニカルに見てしまう。
自分は正確である。
しかし他人はそうでもないと思ってしまう。
同じ情報や証拠に接触したならば、だれもが偏りなく、自分と同じ結論に至るはずだと考えてしまうということだ。
自分は冷静に考えているから、他の人も同じ状況で冷静に考えれば同じ結論に至るに違いないと思う。
だから、自分の見方が他者と共有されないと、極端な場合、相手は馬鹿ではなかろうかと思ってしまう。
私は自分の信条や考え方に左右されないで冷静に物事を見ているけれど、あの人は偏った信念を持っているから同じものを見ても違う結論に至るのだ、と考えてしまう。
次は、まとめに入りたい。(次号に続く)

〇結論、人のこころは読めるのか?
以上をまとめると、ステレオタイプ、原因帰属の錯誤、自己高揚動機、自己中心的な見方などには誤差が存在することが分かった。
目に見えない心を読むことに対しこれらの誤差が発生すると考えられ、社会心理学の道具立てでは人の心を読めないという結論になる。
ではどうしたら人の心を読めるのかというと、結局読むというのは非常に難しい。
だけど私たちは人のことを考えざるを得ない、考えないでは社会生活が上手く行かない。
そこで、ちょっと謙虚に、今以上に謙虚に人を見るというのが、より人の心を読むことにつながるのではないか。

〇自信を捨てて謙虚に
ではどういうことが出来るかというと、一つは自信を捨てようということだ。
特に、自分の身近な人だとその人のことを分かっていると思い勝ちである。
あるいは自分自身のことも良く分かっていると思っている。
だけど身近な人ですら良く分かっていないかも知れない。
なんとなくそれが正しいように見えるけど分かっていないかも知れない。
私の見方は合っているのかなという疑いを持つという、そういう謙虚さが必要ではないか。
これが一番目である。

〇私はどんな歪を持って人を見ているかを知る。
2番目は実際歪んでいるとすればどんな歪みがあるのだろう、どのように歪んでいるのかなということに気付く努力をしてみることである。
実は心理学を学ぶ大きなメリットは、歪み方には、基本的に共通している歪み方があるので、それを知ることによって、自分もこんな風に歪んでいるかも知れないと気づくきっかけが得られることである。
実際問題は、いくらそういわれても、自分にはそうとしか見えないので色眼鏡を外すことは非常に難しいけど、色眼鏡があるということや、何色の眼鏡だ、色眼鏡を通すとどのように見える、ということを知っておくだけで、ずいぶんと人の見方が変わってくると思う。

〇分からないことは聞いてみる
あともう一つ、元も子もない言い方になるが、目に見えないものを推測するのは難しいことだから、時には読むということに拘らないで、直接聞くのが一番かも知れないということだ。
誕生日プレゼントに何が良いか、何を喜ぶか考えたい訳だが、考えること自体は楽しいことだし、相手からすれば考えてもらったという事実を喜ぶかもしれない。
しかし、こちらがよかろうと物を選んでも必ずしも相手は喜ばないかも知れない。
その時はもう直接相手に何が欲しいのと聞いた方がお互いにパッピーなことになるかもしれない。
いろんなことに関して直接相手に聞いてみるというのも、あれこれとこちらで勝手に詮索するよりはより正確に相手の心を知ることが出来るかも知れない。
これが今回の講演会の結論になる。

〇講演会を聞いた後で
文化講演会はここまでであるが、冒頭に言った、「心理学を学んでも人の心は読めない、そればバーのマスターに聞け」というのは、バーのマスターやマダムは、話し上手・聞き上手ということに繋がるのかもしれない。
世間話をしながらその人の内面を聞き出すことが上手なのだ、それを見習いなさいと言っていたのかもしれない。
加えて、自分自身の日常を考えれば、人と話すときに、本心を打ち明けることが少なく、うそをつくか、うそをつかないまでも真実の一部だけを話してそれが全体だと思わせるような話し方をしていることがある。
話す相手も同じかもしれない。そうならないためには、包み隠さず、なんでも話せる信頼関係を築くことが第1歩かも知れない。
これは筆者の考えである。         おわり    2018.04.14 A男