■楠の会だより投稿文の紹介■

<皆さんの声Ⅱ>
〈順応〉ではなく、共に育つ〈変革〉を―
  『ひきこもりソーシャルワーク』紹介

 

あけましておめでとうございます。
地元社協の社会福祉士さんや楠の会の支援を頂いて少しずつ元気になってきたひきこもり当事者のKと申します。
楠の会の当事者体験談発表会でお話をさせていただいてちょうど2年が経ったところです。
ここ最近は、生きていく希望が持てる可能性を模索して当事者会や親の会に参加したり、KHJが主催するひきこもりピアサポーターの養成研修を受講したりしています。
ピアサポーターになるのだから支援する側の視点も学ぼうと読んだ本の中に、とても共感できる内容が書かれたものがあったのでご紹介したいと思います。
山本耕平『ひきこもりソーシャルワーク――生きる場と関係の創出』(かもがわ出版、2021年)という本です。
著者は福祉学系研究者/実践者で、本書はひきこもり支援をするソーシャルワーカーをおそらく主な想定読者とし、ひきこもり支援全体のプロセスを論じて提言を行うテキストとなっています。
本書の全体を通じて、ひきこもりの支援とはかくあるべきという理念を提示しているのが特徴だといえるでしょう。
そうした理念的な面に関して、ひきこもりの背景・要因を競争主義的・自己責任論的な社会の風潮に求め本人や家族のせいにしない、当事者が自分から求めるのでない訪問支援(特にいわゆる「引き出し屋」するような強引なもの)を「侵襲的な介入」として批判する、などは妥当な見解であり、また他のひきこもり論の諸著作と共通しているところでもあります。

私が特に感銘を受けたのは、ひきこもり支援が目指すのは本人がいまある社会――いじめや差別が蔓延する矛盾を抱えたそれ――に「順応」できるようにすることではないとし、そうではなく、「人々によりそい、かつ社会を変えていくための行動」というソーシャルワーク本来のあり方に立ち返って、当事者と対等の立場でよりよい社会や新たな生き方を求める「変革」を起こしていこうと誘う著者の姿勢です。
私たちがひきこもるという選択をせざるを得なかったのは、多かれ少なかれ社会や他者から被害や抑圧を受けたり、様々な矛盾を見過ごせなかったり、課された無理難題に押しつぶされたりしたためでしょう。
そうした負の部分を問うことなく、いまある社会や学校のあり方を当然のものとして、それに適応させようとする「支援」は、当事者としては受け入れがたかったり抵抗感があったりします。
私個人の感覚としても、差別や暴力がはびこっているままの社会に参加・貢献せよと言われても、それは願い下げだなと忌避してしまいますが、変えていくために一緒にやろうと言われるなら、ではトライしてみようかとも思えます。
そもそもの問題として、回復や自立を目指して支援するということは「いまあるその人のありのままの状態」をイコール「望ましくない状態」だと評価することでもありえます。
サポステの支援で面談を継続していたとき、私自身もそうしたことを感じていました。
面談で抱えている困難や人生論について話をすること自体は前向きに取り組めていたものの、最終的には就労させようという方向へ誘導されるのを感じるたびに、いまの自分ではダメだと言われているように感じられて、ズーンと落ち込む感覚を抱かずにはいられなかったのです。
こうした意味でも、ひきこもる人のありのままを否定せず、共に育っていこうとする著者の理論は、当事者を勇気づけるものだと思います。
さて、著者のいうように「変革」を求めていくにしても、課題が山積みなのは皆様ご承知の通りかと思います。
折しも昨年12月23日に〈暴力的「ひきこもり支援」施設問題を考える会〉より『ひきこもり人権宣言』が発表されました。
人権という普遍的な原理に照らして何をどこまで要求できるのかということを含め、オルタナティブ(※)な社会や生き方を模索していく上で、支援者や親の方の知恵もお借りしつつ、一緒に考え歩んで行けたらよいなと思っております。
以上、『ひきこもりソーシャルワーク』の紹介でした。本書と本稿が皆様の助けになれば幸いです。(当事者K)
  ※オルタナティブ=主流なものに変わる新しいもの(会報編集者注釈)

【参照】
・『ひきこもりソーシャルワーク』-
  http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ha/1148.html
 (かもがわ出版による紹介ページ。目次、書評、そして本書に登場する居場所のメンバーが集まって本書について話す動画があります)
・『ひきこもり人権宣言』|暴力的「ひきこもり支援」施設問題を考える会 - note
  https://note.com/bouhikimon/n/nbd360e7316d8