■楠の会だより投稿文の紹介■

< 投稿>
< 当事者のひきこもった理由は?>

A9月になり秋の気配が、と言いたいところですが日本列島全体に蒸し風呂状態が続いています。台風も頻繁に発生しそのルートを目まぐるしく変え、どこかしこが「台風銀座」になりつつあります。コロナ発生以降、いろんなものが吹き荒れて、心の平穏をどこに求めたらよいのでしょうね。落ち着いた秋が来ることを望んで止みません。
以前、親の会で当事者の引きこもった理由をめいめいで話し合ったことがあります。
私が「当事者の話や手記などの中になんとなくひきこもったという例もあります」と発言すると、あるお父さんから「あなたはそれを信じますか、そんなことがあると思いますか」と詰め寄られました。
子供が如何に苦しんでひきこもりに至ったか親ならそのくらい察せられるだろうと言わんばかりにお叱りを受けたことがあります。なるほどと納得もしましたが、そうかしらと疑問も残りました。
ひきこもりの原因はそれこそ様々だとは思いますが、ほとんどが人間関係ではないでしょうか。一概には言えない思い、悲しみもあれば恨みもある、一番苦しいのは孤独感、疎外感とも言われています。
そして、「明日こそいい日になれ」「明日は優しくしてもらえるかなあ」と期待しては裏切られ、呆然となりながらも親にさえ言えない日々を過ごし、自分の心の奥底にしまい、「嫌なことは忘れよう」と努力してきたのだと思うのです。精も根も尽き果てて独りの部屋に籠ったときの事なんか、誰も思い出したくありません。人に問われたら私だって「何となく」と言ってしまうでしょう。
思い出したくないことが部屋中にあって、それでも「明日」に期待して頑張っている子供達。事実は本人しかわかりません。でもそれくらいの苦難を耐えてきた子供と思って、これからも接していってやりたいと思っています。

もう少しで本格的な秋の夜長を迎えます。物言わぬ子、反駁する子を眺めながら親として一緒に生きているひと時を共感できたらと思っています。
少しおかしな文章になりましたが、ひきこもり家族も秋の風情を楽しむくらいのゆとりを持って過ごしましょう。(T・K)