■楠の会だより投稿文の紹介■

<投稿>
< 「なぜ父親の参加が少ないか」を考えました  >
 

いろいろな親の会に参加を始めて、3年が過ぎました。
最初は紅一点ならぬ親父一点の場が多く、何か違和感を覚えていましたが、経験値が増してきて厚顔にて席につかせて頂いております。
私なりになぜ父親参加が極端に少ないのかを考えてみると・・・・。

  私自身の3年前の心境にその一端があるようにも思えます。
たくさんのお母さんの話をうかがっていると、とにかく子供の事をよく知っている。
出来事もそうですが、そのときの子供の気持ちまでも克明に記憶していらっしゃる。
正否、善悪を超えて我が子の心情に寄り添っているのが男の私には畏怖心さえ抱くときもありました。
私は自分が子どもの頃、「男は広く、女は深く」という風潮の中で育ってきた思いがあります。
父親という存在自体が、高見から俯瞰するものと言う意識が顕在化しているのかもしれません。
だからお母さん方の自然な会話さえ何かしら父親の私を非難攻撃しているように聞こえてのかもしれません。
「子どもの事を語らせられたら妻の足元にも及ばない。」

世の父親を一緒くたにはできませんが、昭和世代の殿の多くは、この認識を持っていらっしゃる様にも思います。
引きこもっている子供を直視するということは、自らの人生眼鏡の度数を変えなければならないのでしょう。
子どもに生きる勇気を与えるためには、父親も同等の勇気を持たなければいけないのかもしれません。
いくつになっても「父の背中は子どもの手本」なのですから。
私は古希に近い齢になりながら3年かかってこの程度です。
もう少し頑張っていくつもりです。(会員H)