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四戸智昭先生講演会(10月30日)感想                 

四戸智昭先生の講演会に初めてでました。
ざっくばらんなお話で様々な方がたの質問に、快刀乱痲を絶つがごとくお応え頂き、明快な論理で親としても男としてもたじたじとなりました 。
ひきこもりもアディクシヨンで説明できるのか、面白いなという感想です。
詳細は個人情報に関わりますので省略しますが、共依存の関係にある親子は、アルコール依存の夫と妻の如く、被害者であるはずの妻が夫の世話に明け暮れる被害者を装って、実は存在の必要を創造しているのではという怖いお話でした。
私の翻訳の師匠は、東大の英文を出たフルブライトの留学生で、訳書も多数出しておられ、大学の講師をしながら翻訳会社を経営すると言う辣腕家でした。
最後は山頭火のような旅に生きる生活を送られ、なかなか大変な一生でした。
三十年ぐらい前ですが「おれの人生の影は酒だと気付いた。
これから断酒会に入るからお前も入会しろ。」という話でお付き合いする羽目となり、各地の断酒会やAAに出入りし、断酒修行にはげんだ事があります。
何故その人が依存症になるのか理由が分かりません。
長男で人が良い方が多いというのが私の印象でした。
アディクションで奥さんと共依存というのは分かっても、何故その人が依存症になるのかが分かりませんでした。
ここは「ひきこもり」と一緒かな。
私の親戚の娘がショッパホリック(買い物依存症)と呼ばれていました。
とにかくストレスの解消はお買い物でした。
四戸先生の『浪費を止める小さな習慣』に幾つか例が書いてありましたが、金額こそ範囲を超えていませんでしたが、似たようなものでした。
ところがその買い物依存が突然やんだのです。
理由は簡単でした。
恋人が出来たのです。
私は、ギャンブル依存、アルコール依存、恋愛依存(いつも美しい女性に出会うと車寅二郎のように恋の病に陥る手合)です。 
幸いに内の奥さんは共依存になる程私の事を愛していなかったので、大事には至りませんでしたが。
どのようにしてそれぞれの依存を抜け出したのか、ひょっとしたら私の依存は潜在しているかもしれません。
結論をいえばある宗教団体のお兄さんたちのように「あなたはどこから来てどこへ行くか分かっていますか」という質問に応えられるまで、何らかのアディクションに身を浸しておらざるを得ないのでしょうか。
子どもと夢をともに見ることを諦め、夫の夢など遥か昔に忘れてしまった奥様は、一応生類を憐れむ姿勢を示しつつ、ひたすら庭の経営にいそしみ、花坂アディクションに酔っておられます。
四戸先生、私は何処へ行けばよろしいのですか。
教えて下さい。 S・K)