■楠の会だより投稿文の紹介■

<投稿 終活とは人生の総括と、家族に委ね、託すこと>

福岡市社協の講演を聴きました。まだ若い講師の方でしたが、「終活」というテーマの中にあって、穏やかな語り口と拝聴する遥かに年長の人々に対しての思いやりを感じさせる印象でした。
終活という二文字にはいろんな受け止め方があると思っていましたが、なるほど説明を受けると幅も奥行きもある内容で、その一つ一つが自分と、残された家族に降りかかってくるのだと思うと憂鬱になります。まだまだと高を括っている余裕はなさそうです。家に帰って再び終活について考えてみました。
終活とは自らの人生を総括すること。確かにそういう部分もありますが、一方で残された家族(配偶者、子供、孫)へ伝え、委ね、託す事だとも。
現に、葬儀や、遺言、相続などは自分ではどうすることも出来ない事、信じるだけの事です。しかし、だからこそ身の回りを整理し、居住まいを整え、自分の意思(残してゆく子供達への思い)をはっきりと伝えないといけないのかも知れませんね。
考えてみれば、自分という存在にしても父母から生まれ、年月を経て親になり、そしてまた年月を経て、父母の伝言に少し自分の色を付けて残していくだけのことかもしれません。これは大切な事、儀式でもあるのでしょう。自由を謳歌している人間の数少ない義務かとも思います。自治体や、社協が示唆し支援の手を差しのべてくださるのなら感謝です。ドライブの時のナビのように少しずつでも確認しながら「終活」させて頂きましょう。(会員H・K)