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楠の会だよりNo.218号(2020年8月)記事より

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
               松尾芭蕉(奥の細道)


梅雨が明けると蝉の声、いつもの夏が巡ってきました。しかしどうもいつもの夏とは言えません。何かが起こっている、正体のわからないものが人間の日常を不安に陥れています。どうなるのでしょうか。

<当事者の提言 どうしたらひきこもる人を救えるのか>

さて、ご覧になった方もあると思われますが、7月20日(月)と27日(月)の西日本新聞朝刊にひきこもり経験者の児玉光司さん(43歳)を通して、8050問題に象徴されるひきこもりの長期化はどうして起こるのか、今までの支援はひきこもる人たちを救うことができるのか、の疑問にせまる大きな記事が掲載されました。

会員の中には「こだまこうじ」と言う名前を思い出される方もあったでしょう。
数か月前の会報の四戸智昭先生の記事に出ていましたので。

ここには当事者でなければ語れない心情が述べられていて、親たちはそうなのかと納得させられることがたくさんあったのではないでしょうか。
その数例を新聞記事より引用してみます。

「今考えれば、私にとって、ひきこもるのは自殺を回避するためでした。
多くのひきこもりの人は、進学や就職で社会に出て、そこで求められる『社会の当たり前』に対応できず混乱して、心の行き場を失っています。
いわゆる普通に暮らす人は不安になると、『明日、どう生きるか』を考えます。
でもひきこもりにとっては明日ではなく、今が最重要なのです。『社会のあたり前』に耐えられず逃げてきて『今、生きている』以上に望むことはありません。
社会に押し出され、死んでしまう未来を避け、生存が保障される場所が家でした。
家は、社会からドロップアウトした自分を活かしてくれる唯一の居場所だったのです」

そして7月27日(月)には児玉氏はさらに、注目すべきことを言っています。

「就職氷河期世代で40歳までひきこもっていた人が就職し、14万円ほどの初任給をもらっても、逆に劣等感や『生きづらさ』を感じるのではないでしょうか。
同年代の多くは責任ある役職となり、より高い収入を得ていることでしょう。 就労ありきの支援は、結果的に当事者を自暴自棄にさせ、犯罪や自殺の増加につながるのではと心配します」。 そしてこう締めくくります。
「部屋を出ることと、定職について自立することは別次元の話です。 就労ありきの支援は当事者に『今更働いても人並みに稼ぐのは無理だ』と自覚させ、支える側にも『無理に就労させても、すぐやめるので会社に迷惑をかけると認識させます。 双方に諦めを生じさせる危険性をはらんでいると思います。」

ではどうすればいいのか、と言う質問に「本人が『ただ、社会の中にいてもいいんだ』と感じられる支援が必要だと考えています。 会社に毎日行かず、働かない。代わりに『僕は時間があるから姉ちゃんの子供の面倒を見るよ』と声をかけたり、『報酬を出すからちょっと仕事を手伝って』と頼まれたりする。 そんな生き方を社会が認めれば、暮らしやすくなります」。
「当事者も就職していないことはよくないと感じています。 ただフルタイムで延々と働けないだけなのです。 せっかくひきこもりを抜け出しても、支援者の『働き始めたらなんとかなる』という考えや、もう『少し頑張ろう』との応援に心が折れ、二度と働かなくなるケースもあります」。

「ひきこもりは放置すれば悪化します。 しかし、無理をさせすぎれば絶望します。 無理ならゆっくり休んで次を探せばいい。 そんな支援こそ、苦しむ人を躓きから立ち直らせ、社会参加を促すのではないでしょうか」

一言でいえば立ち直りを無理強いしない支え方と、それを見守る寛容さを社会に望んでいると記者は結論付けています。

それはひきこもりに限らず、誰にでも言えることではないでしょうか。
たまたま目に留まったのが北九州市でホームレス支援に携わっている抱樸館のホームページに出ていた言葉でした。
私たち家族会や当事者が親和性を感じる言葉ではないでしょうか。(記 吉村)

(以下抱樸館のホームページより引用) 
ポイント1.生きることに意味がある
「生きる意味のないいのち」が公然と語られる時代。 私たちはこれと闘い、「生きることに意味がある」と言い切ります。
共生社会は大切です。
しかし、共に生きることができなくても、ひきこもっていても、「生きているという事実」に意味があります。
世の中が「生きる意味」や「存在意義」、「生産性」を問うとき、その 答えを見出せなくても、「今、生きていることに意味がある」と抱樸は宣言します。
これこそが、私たちが最も大切にしている普遍的価値だからです。
ポイント2.家族にすべてを押し付けない
8050問題(80歳の親に50歳のひきこもり)に見られるように「家族」は限界を迎えています。
自己責任や身内の責任だけでは対応不可能な現実が噴出しています。
「家族」の役割を社会が分業できるか。 これが抱樸のテーマでした。
例えば、その最も象徴的な場面は「葬儀」。
「葬儀」や「死後事務」を担う家族がいないことが大家の入居拒否理由となっています。
抱樸の互助会が「葬儀」を担うことで入居拒否が無くなりました。
出会いから看取りまで、それが抱樸の目指す家族機能の社会化です。


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< 9月の催し物案内  >

ひきこもり兄弟姉妹の集い
      

詳しくは下のチラシをご覧ください。
注)兄弟姉妹のみの会です。親等は出席できません。 

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<嗜癖行動学研究室だより>

   不安をどう処理すればいいか
                   四戸智昭 (福岡県立大学大学院


6月の末に興味深い調査報告が報道されました。「新型コロナウィルスへの感染が自業自得だと思うか」と尋ねた国際比較調査です。
大阪大学の三浦麻子さんらのグループが調査したデータで、調査は今年の3月から4月、日本、中国、イタリア、英国、米国の国々の人を対象にインターネットを通じて行われました。(2020年6月29日、読売新聞)
「感染する人は自業自得だと思うか」との質問に、「全く思わない」から「非常にそう思う」までの程度を6段階で尋ねた調査ですが、その結果「どちらかと言えばそう思う」、「ややそう思う」、「非常にそう思う」と答えた合計の割合は、米国で1%、英国1.49%、イタリア2.5%、中国4.83%だったのに対して、日本は11.5%と最も高かったということです。
調査当時、日本以外の国々は新型コロナウィルスの感染が蔓延していた国々です。いわば、困難の真っ最中に、ウィルス感染は、誰もがなり得ること、自業自得とは言えないと他国の人々が考えていたのに対して、日本の人々は感染の理由を自己責任と考えていたことがわかります。
今この調査を行ったとしても、この傾向は変わらないどころか、むしろ日本の「自己責任」を追及する傾向はさらに強く出てくると想像します。
数日前、私の故郷岩手で、初の陽性感染者2名が報告されました。皆様もご存じのように、非常事態宣言が発令されて以後も、7月末まで感染者ゼロを記録し、岩手の奇跡とも報道されていました。
しかし一転、陽性感染者の一人が、関東地方で友人とのキャンプに興じていたことが報道されると、SNS上ではこの感染者に対してバッシング(非難)の嵐です。
仕事で感染したことは許され、遊びで感染したことは許されない。家族内での食事を介して感染したことは許され、夜の街の会食で感染したことは許されない。感染したか否かではなく、感染したのはなぜかに注目が集まり、日本人の勝手な価値観に基づいて、感染者が運の悪い病人にされたり、自業自得の悪人にされたりしています。
この国の人々は、いつの頃からこれほどまでに「自己責任」を追及する不寛容な国になり果ててしまったのでしょうか。フリーライターの雨宮処凛さんはその著書、『この国の不寛容の果てに』(大月書店)で、次のように語っています。
「2004年、中東イラクでボランティアなどをしていた日本人3人が武装勢力に捕らわれ、武装勢力は日本政府に自衛隊の撤退を要求、当時の内閣総理大臣・小泉純一郎という「空気を読む天才」は、日本国民のいら立ちをいち早くすくい取り「自己責任」と言い放った。」
当時の日本国民のいら立ちは、何も3人の日本人が武装勢力に捕らわれたことだけではなく、そもそもデフレ社会で給与が上がらなかったり、非正規労働者が増えたりといった政策の失敗による国民のうっ憤だったのにも関わらず、その鬱積は不幸にも捕虜となった3人に「自己責任」という怒りとして向けられたのでした。
今、自粛ムードの中で多くの人たちが不安を抱えています。不安は怒りと相性がよく、怒りの発散は不安解消によいのですが、家庭内暴力と同じく不適切な怒りの発散は許せません。
自分が不安を抱えている。これを自覚できているのはとても良いことだと思います。その不安をどう解消するか。それは、アイ・メッセージ(私の言葉として)、不安を言葉にすることです。
私自身も自戒の念をもって、他人を非難して自己の不安を解消することがないようにしたいものだと思って暮らしております。
(嗜癖行動学研究室 https://www.facebook.com/shiheki/)  

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今月は他にも素晴らしい投稿記事があります。ぜひ「楠の会だより」をご覧ください。
なお、当ホームページに「楠の会だより投稿」のサブページを設置しました。
こちらの方もご利用ください。
投稿の一部を掲載しています。☞楠の会だより投稿    

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福岡「楠の会」支部会だより

数ある支部会だよりからいくつかの支部をWEB編集者独断で選んでいます。

★ 親父の会  7月11日  (あすみん) 参加者 3名

・親父の会は集まる場所を「あすみん」に変えて初めての会だったのと、コロナのせいもあってかいつもほど参加者がありませんでした。
初めは予約不要のミーティングコーナーを使う予定でしたがそこは仕切りがないので、空いていた会議室を使いました。
そこでNHK2月17日放映「ノーナレ・みんな先に行っちゃう」を上映しました。
20年間ひきこもっていた42歳の息子が父親と対話する、そこに至る経緯が当事者の声と映像で、特に当事者のモノローグで語られます。
あいだあいだに母親、支援者、父親の映像と声が入ってきます。
不思議な映画でした。
特に不信感を持ち続けてきた父親と息子が2人きりで対面する場面は圧巻でした。
息子は言えない部分は字を書いたカードを見せながら言葉少なに父親に語り掛けます。
そのうち父親は謝るわけではないけれど涙する場面にいたり、息子から「今までありがとう」の言葉がカードで示され、言葉でも言われます。
父と息子の和解が成立したと見えました。その後2人はそれぞれの生活に…。
感想をお聞きするのはもう少し時間を置いたほうがいいようでしたので、お持ち帰りしていただきました。
・話題提供されたことがありました。それは8050問題でよく取り上げられる親亡き後の実際的な手続きいわゆるライフプランニングの相談窓口を福岡でもできないか、という提案です。
1昨年「一般社団法人OSDよりそいネット」の方を東京からお呼びしてお話ししてもらったことがあります。
お父さんでなければ出ない話題でした。
親父の会こそ、このような子どもの近未来への設計を実際に考える場にして欲しいと切に願いながら簡単な報告とさせていただきます。 (事務局)

★宗像の集い  7月15日 (メイトム宗像) 参加者7名 (女性4、 男性3 )


① NHK3月22日カルチャーラジオ「人間を考える~私の幸福論」東京大学教授…福島智 の録音を聴きました(60分)
                              ②話し合い 
・ラジオは、楠の会だより180号(2017年6月)の記事に紹介されていた、盲ろう者の福島智さんのお話です。目も耳も感覚を失ったときは暗闇にただ一人で立つ感じでしたが、指点字で外界と繋がることが出来、友達が「思索は君のためにある」と言ってくれたことで、自分の道を決めました。
それが今、考える事が仕事になっていると言われました。
小学生に今までで良かったと思うことは何ですかと問われ、今生きていることですと答えたそうです。
小さい頃から何度も入院し、周りの人が亡くなるのを目にしていたので、あの人たちは生きたいのに生きることが出来なかった、私は生きているだけで幸せだという思いでこれまでを生きてこられたそうです。
コロナで亡くなる人が多い今、私たちも考えさせられました。
・会員さんの為に楠の会をネットで探してくれた親戚の方も出席されて、私たちの活動を確かめておられました。ネットの情報も大切だなと改めて考えました。
・元当事者の親戚のお姉さんが、一番辛い思いをしているのは本人だからねと念押しされたそうです。今はその言葉を胸に家族で対応していると話されました。
③当事者のたまり場として、月に1回、メイトムの会議室を確保します。誰でも来てください。
次回の当事者の会は8月26日水曜日 13:30~16:00 メイトム宗像205号室です。( A男)

★福岡東部の会 7月18日 (コミセンわじろ)  参加者 9 名


先日の夜中10時頃、不意に「蝉の鳴き声がしているね」と子どもが言います。
私は耳を疑いましたが、「夜鳴くとは知らなかったね」。長雨の後だっただけに梅雨が明けたのかなと思った瞬間でした。
先日はコロナの期間にやっとの思いで役員さんが会を設けてくださいました。いつもの部屋の倍の広さで、椅子も1メートルほど離しての異常な広さにびっくりしました。
高齢のために耳がよくないのと、マスクをしているために、よく聞き取れないところもありましたが9人の参加者がありました。
その中に初参加でしたが、8050問題の方が話されましたが、やはり息子さんの行く末を案じておられました。
また先日ひきこもり当事者の方に、コロナの件で聞いてみましたが、あっさりと「自分はゆっくりと自宅で過ごすことができてよかった」と言われました。
思わない言葉でもなかったのでしたが、でもさすがにびっ くりです。
今現在世界中、日本中が苦しんでいる様子を、ひきこもりの人たちはどんな風に受け取っているのか、ひきこもりの人たちの苦しさを少しでも感じ取ることができているでしょうか。
今からまだ続くこの現状に、ただただ自分のことだけしか考えられず、余裕がないのが現実のようです。
会の終わりには洋裁の得意な方より、素敵な柄の手作りのマスクを2枚ずつ頂いて帰りました。
次回を楽しみに、皆さんと無事を祈って別れました。(M子)