お知らせ
         
        

        

        

        

        

        

        

楠の会だよりNo.231号(2021年9月)記事より

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞ驚かれぬる       (藤原 敏行)


コロナの急速な蔓延化と風水害という人間の手に負えない災害に見舞われた今年の夏も、さすがに衰えを見せてきました。
被害を受けられた方々には心からお見舞い申しあげます。一日も早く立ち直りができますようにお祈り申し上げます。
皆様には外出禁止令の下、どのような過ごし方をしていらっしゃるでしょうか。
近頃テレビやラジオで過ごすことが多くなった方はありませんか。
この文明の利器はこのような時には大変役に立っているように思います。
番組の内容も選べば普通では見聞きできない講演や決して行かないだろう外国の景色、国内外の探訪記録、歴史物語など、旅行に行けないぶん、お金も使わずに随分得した気持ちになります。
またテレビ、ラジオどちらにも見逃しや聞き逃しも再現できるようになっており、これも今までにないサービスです。
以前会報でご紹介した「おやときどきこども(鳥羽和久著)」で、こんなことが書いてありました。
それは「子育て指南書 ウンコのおじさん」(宮台真司著)について書かれたところですが、公園でお母さんが子どもに「あんた、なんで何回も同じことを言わせるのよ!」とプンプンン怒っている。
その隅っこでおじさんがウンコ座りしてウンコの絵を描いている。
それが目に入った母親は気になって怒りを中断してしまった。
気勢をそがれて次第に冷静さを取り戻し、ふっと、あのおじさん一体何なの、私がバカみたいじゃないと思う。母親は笑い出してしまいます。
このことをノイズが入ったと鳥羽さんはいいます。

<母親(父親)ばかりが子どもを抱え込んで苦しくなっている時には、父親のノイズが十分に機能していないことが多いものです。 父親が子どもを母親に任せっきりと言う場合もあれば、母親と父親の相補的な関係が強すぎるためにノイズが起きるスキがないと言うこともあります。 また夫婦間の結束を強固にするために、子どもがダシに使われることも案外多いものです。 夫婦なんてもともとは赤の他人ですから、考え方の不一致があって当たり前なのですが、その前提が忘れられて、夫婦関係を強化することばかりにとらわれすぎると、そのあおりを受けるのは決まって子どもです。 意見の相違があっても、お互いに会話を重ねてその異なり自体を認め合う夫婦の姿こそが、子どもの主体に輪郭を与え、存在を支えるものになるはずです。>

と言い、まわりにウンコのおじさんみたいな人はいないと感じる人は、小説、映画、漫画、ゲーム、体を動かすことなど、自分の思考に切断を与えてくれるものをいろいろ試してみたらいいと言います。
今回「オンライン家族会」を始めますが、オリンピックやパラリンピック、災害、その他ご自分の悩みや毎日の過ごし方等持ち寄って語りあってみましょう。
福岡「楠の会」の会員は誰でも参加できます。参加方法は、楠の会だより231号に記載されています。

=========================
お知らせ(9月11日)        
新型コロナ非常事態宣言延長の為、関連施設が臨時休館になりました。
  9月の東部の集い、宗像の集い、宗像当事者の会 及び
  久留米の集いは中止します。
  会員の方は9月17日オンライン家族会をご利用ください。
  参加方法は楠の会だより9月号を参照ください。
  わからない方は電話ショートメールで対応します。
=========================

< お知らせ  >

KHJジャーナルたびだち(98号)特集「孤独・孤立」 が発刊されました。
(9月20日より1週間限定で無料記事配信予定)
詳しくは
●特定非営利活動法人
KHJ全国ひきこもり家族会連合会ホームページへ
 http;//www.khj-h.com



=========================

<皆さんの声> 
仏教徒としての私の修行

 
私は十数年前より大学に入学し仏教を学んで、いま仏教徒として修業をしております。
固いお話で、ひきこもりと関係があるかどうかわかりませんが、その中でお話ししてみます。
私は今、「自信教人信」について自分に問うています。自信教人信とは、親鸞が主著「教行信証」において善導の「往生礼賛」より引用したものです。
教育(=教人信)は自己を知る(=自信)ことにおいて成立します。
自己を知るとは我々が根底に持つエゴイズムの自覚です。
教育の実践において自己を問い続け、有限なる自己を再認識をすることで、「共生」の世界に立つことです。
このような実践者を“自信教人信の誠を尽くす人物と称する。“と浄土真宗では言っています。
私は、教えについて少し違った見方をしています。
自信とは、如来から賜る信心であり、人信とは、自分の身近な人の俗世にまみれた心を、清らかな心へと「教え」(推すえ)愛のある支え、ではないかと思います。
それは、福沢諭吉は(文明教育論)において、教育という言葉は「管理的」であるので「発育」がいいと述べています。
これは、明治初期に、外来語「エデュケーション」の和訳で教育となったということです。
のちに福沢諭吉は発育や「支援」という言葉に出来なかったことに反省の弁を述べています。
また、ウィリアム アーサー ウォードは教師像について4つ挙げています。
 1 凡庸な教師はただしゃべる
 2 よい教師は説明をする
 3 優れた教師は自らやってみせる
 4 そして、偉大な教師は心に火をつける
教えることは、答えを教えることではなく、その人の思いに「推すえ」のことであり、真心を持って背中を押してあげることではないでしょうか?
勝手に大人の感性を押し付けて、それぞれの個性を押し潰しているような気もします。
また、介護事業をやっていますと、福沢諭吉が言っていた、社会教育や家庭教育が、地域支援、高齢者支援、家庭支援と、社会が少しずつ優しくなって来ているようです。(K・T)  

=========================
今月は他にも素晴らしい投稿記事があります。ぜひ「楠の会だより」をご覧ください。
なお、当ホームページに「楠の会だより投稿」のサブページを設置しました。
こちらの方もご利用ください。
投稿の一部を掲載しています。→楠の会だより投稿    

==========================

福岡「楠の会」支部会だより

8月は、新型コロナの影響で各地の集いがすべて中止になりました。今月は「グループLINEに参加して(感想)」と題して会員からの声を以って、支部会だよりに変えます。

① 以前の会報で、楠の会サンのグループLINEがあるとの事で、「早速」登録しました。

② 私は、車の運転が、近場しかダメなので、とても助かります💌 グループLINEに参加しての感想は、他の方のコメント(アドバイス)を受けて、「自分も前向き」になれるのが、一番いいと思います。

◎私の場合は、よく、「一喜一憂」してしまうのですが、その事をLINEに書いたら、「それは、あたり前の事」と、救われるコメント(アドバイス)をいただきました。皆様のアドバイスで、前向きになれています。本当にありがとうございます。

③私は、長々と文章を書く方で、書く(外に出す)事で、ストレス発散というか、その一つの方法です。時には、自分ばかり書いていいのだろうかとも思いながら···ただ、私は、他の方が書かれた事に関しては、(何かしら、コメントというか、投稿?された方への)お疲れ様·一緒に前向きに、光を探していきましょう、やっていきましょう(頑張って、という言葉は、あまり使いたくないので)の意味も込めて、返信させていただいています。

④中には、書くのが苦手で、「既読だけ」という方もいらっしゃるみたいですね。私は、その人·その人の参加の仕方(関わり方)で、読んでいただくだけでも、いいと思います。

⑥ 皆様へ   これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)mいつか、直接お会いできたら、いいですね💕 コロナ禍が早く収まりますように。(KT)
 


↑楠の会ホームページトップへ